仮名・変換・文字
janvier 06, 2008

『TypeTrace』における「変換の妙」の本質を求めて,
『日本論の視座』,網野善彦,小学館
第五章「日本の文字社会の特質」,第4節「平仮名混用文書と平仮名の機能」
を読む.
p346
平仮名が片仮名と同じ表音文字でありながら,無文字社会の音声の世界を表現する記号としてでなく、おもに書きかつ読む文字として機能していたことを、鮮やかに示しているといえよう。平仮名の文字としての特質はまさにここにある、と私は考える。
片仮名は漢字の片方から抜き取られ、文字通り「半端」な文字として産み落とされたのに対して,平仮名は派生と呼ぶに相応しいデザインを施されて形成された.
5節「国家の文書主義と文字受容の内発性」
p350
菅野文夫は中世前期における土地証文の性格を分析した上で、本券のみを所持していれば権利を主張しうる、という観念のあったことを明らかにし、これを「文書フェティシズム」と名付け、当時の文書主義は無券文の世界、文書フェティシズム、文書主義という三層構造を持っていた、としているが、こうした「文書フェティシズム」のあったことも、同じ問題に関わってくるものと思われる。
固定された,書かれた言葉の持つ「真性」が口頭の言葉の力を封じ込めたものであれば,デジタルに記録されたエナクティブなプロセスが醸成する「真性」はそうした固定文字に封印(圧縮)された力を解き放つ作用を持つといえないか.
p353
それは、民衆が自らの意志をより明確に文字によって表現しうるようになったというだけでなく、さまざまな帳簿類の工夫、発達を通して、百姓や町人の経営・家計の維持、発展の上に大きな寄与をし、また戦国期から見られたような領主側の年貢等の賦課に関わる帳簿–「表」の帳簿に対し、村独自の多様な「裏」帳簿を作成して、自らの生活を防衛する知恵を発達させた。建前の上で見る限り、水ももらさぬ世界無比の専制体制といいうる幕藩体制が、三〇〇年もつづくことのできたのは、町人や百姓たちのこうした知恵による生活の防衛、維持、発展があったからにほかならない。この意味で、三〇〇年の「専制」の下にきらえられ、日本の庶民はたぐいまれにしたたかで巧みな「表」と「裏」の使い分けを身につけてきた、といえるのかもしれないのである。
とはいえこのことは、日本の社会において、ここでもまた、民衆が自らの公を「裏」とし、支配者の「公」を「表」として、ついに自らの「公」を貫ききっていないことを示しているのであり、それはいまなお、われわれ自身の問題であもるといわなくてはならない。
網野のこの鋭い推測は,識字率が世界的に見ても異常に高い日本語の社会的本質を突くと同時に,可能なアクティビズムの性質をも示唆しているように思える.自らの公を表とし,世間の公を裏とする,のではなく,世間の公と縁を切る(無縁)ということを網野は想っていたのか.
6節「今後の課題」
p355
山田欣吾の最近の労作によると、中世ヨーロッパ社会の言語文化は、文字社会と口誦的文化の二重構造を示しており、文字社会はもっぱら聖職者身分によって担われ、俗人身分は口語的民族語の世界を踏み出ることがない、という独特なかたちを持っていたという。
(…)俗権力が最初から文字を掌握し、統治手段として文書主義を徹底して採用した日本の文字社会と、ヨーロッパの文字社会のあり方とは、まずこの点であまりにも大きく相違しているといわなくてはならない。
ここに囲い込みモデルにおける全体的貧困とオープン・イノベーション的な全体の底上げという対比を見て取るのは性急か.
p356
逆に、文字社会の主導権を俗権力が掌握したことと、日本に宗教が根づかなかったこととは深い関わりがあると見ることができるので、ここにもさらに考えてみる必要のある大きな問題が潜んでいると思われる。
derivative: 日本語では「仮名に漢字をふっている」という構造(古井由吉『はじまりの言葉』中)

『TypeTrace』における「変換の妙」の本質を求めて,
『日本論の視座』,網野善彦,小学館
第五章「日本の文字社会の特質」,第4節「平仮名混用文書と平仮名の機能」を読む.
p346
平仮名が片仮名と同じ表音文字でありながら,無文字社会の音声の世界を表現する記号としてでなく、おもに書きかつ読む文字として機能していたことを、鮮やかに示しているといえよう。平仮名の文字としての特質はまさにここにある、と私は考える。
片仮名は漢字の片方から抜き取られ、文字通り「半端」な文字として産み落とされたのに対して,平仮名は派生と呼ぶに相応しいデザインを施されて形成された.
5節「国家の文書主義と文字受容の内発性」
p350
菅野文夫は中世前期における土地証文の性格を分析した上で、本券のみを所持していれば権利を主張しうる、という観念のあったことを明らかにし、これを「文書フェティシズム」と名付け、当時の文書主義は無券文の世界、文書フェティシズム、文書主義という三層構造を持っていた、としているが、こうした「文書フェティシズム」のあったことも、同じ問題に関わってくるものと思われる。
固定された,書かれた言葉の持つ「真性」が口頭の言葉の力を封じ込めたものであれば,デジタルに記録されたエナクティブなプロセスが醸成する「真性」はそうした固定文字に封印(圧縮)された力を解き放つ作用を持つといえないか.
p353
それは、民衆が自らの意志をより明確に文字によって表現しうるようになったというだけでなく、さまざまな帳簿類の工夫、発達を通して、百姓や町人の経営・家計の維持、発展の上に大きな寄与をし、また戦国期から見られたような領主側の年貢等の賦課に関わる帳簿–「表」の帳簿に対し、村独自の多様な「裏」帳簿を作成して、自らの生活を防衛する知恵を発達させた。建前の上で見る限り、水ももらさぬ世界無比の専制体制といいうる幕藩体制が、三〇〇年もつづくことのできたのは、町人や百姓たちのこうした知恵による生活の防衛、維持、発展があったからにほかならない。この意味で、三〇〇年の「専制」の下にきらえられ、日本の庶民はたぐいまれにしたたかで巧みな「表」と「裏」の使い分けを身につけてきた、といえるのかもしれないのである。
とはいえこのことは、日本の社会において、ここでもまた、民衆が自らの公を「裏」とし、支配者の「公」を「表」として、ついに自らの「公」を貫ききっていないことを示しているのであり、それはいまなお、われわれ自身の問題であもるといわなくてはならない。
網野のこの鋭い推測は,識字率が世界的に見ても異常に高い日本語の社会的本質を突くと同時に,可能なアクティビズムの性質をも示唆しているように思える.自らの公を表とし,世間の公を裏とする,のではなく,世間の公と縁を切る(無縁)ということを網野は想っていたのか.
6節「今後の課題」
p355
山田欣吾の最近の労作によると、中世ヨーロッパ社会の言語文化は、文字社会と口誦的文化の二重構造を示しており、文字社会はもっぱら聖職者身分によって担われ、俗人身分は口語的民族語の世界を踏み出ることがない、という独特なかたちを持っていたという。
(…)俗権力が最初から文字を掌握し、統治手段として文書主義を徹底して採用した日本の文字社会と、ヨーロッパの文字社会のあり方とは、まずこの点であまりにも大きく相違しているといわなくてはならない。
ここに囲い込みモデルにおける全体的貧困とオープン・イノベーション的な全体の底上げという対比を見て取るのは性急か.
p356
逆に、文字社会の主導権を俗権力が掌握したことと、日本に宗教が根づかなかったこととは深い関わりがあると見ることができるので、ここにもさらに考えてみる必要のある大きな問題が潜んでいると思われる。
derivative: 日本語では「仮名に漢字をふっている」という構造(古井由吉『はじまりの言葉』中)
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