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ぬきがき:『時空の編み目をくぐって』、高橋悠治

janvier 31, 2007

an incomplete translation of Yuji Takahashi's diary during the 1970's. [draft]

self-note: Translation accelerates understanding.

作品の作者にとっての意味は、しごとをはじめたときの具体的な条件が、はじめのおもいつきをかえてゆくプロセスにある。 鎌倉 1975.1.23

Le sens de l'oeuvre pour l'auteur se trouve dans le processus où les conditions concrètes de lors du débutage du travail commencet à transformer l'idée initiale. Kamakura 1975.1.23

on the United Nations

janvier 30, 2007

from The Economist
The United Nations: Mission impossible?
http://www.economist.com/world/displayStory.cfm?story_id=8490176

Quite fair and balanced review on the inabilities, problems and promises of the current United Nations. I really hope Mr. Ban Ki-moon, the new secretary-general of the UN, would 'surprise' all the under-estimations targeted at his leadership. One touchstone of his ability and originality would lie in success and failure to redefine UN's distance toward the super powers, namely US and China, in favor of a more simmetrical yet efficient relation with the rest of the world i.e. G77.

As the editor notes, the undemocratic and concentrating nature of the Security Council is its very own Achilles' heal with the royalistic power of veto attributed to the five permanent seats.

The theoretical answer to this situation seems quite simple; an independent, nationalism-and-interest-free, overwhelming military power only commanded by and for a revised UN charter. It seems to be something like a day dream for any one to conceive it as a efficient solution, but let us try to imagine it for a few minutes.

- A-nationality: The members of this still fictional UN military might be attributed a common nationality, or a non-nationality, accredited by the UN and its members.
- Redefining Violence: This military group will be governed and directed solely by an a-national board of commandment, and would be targeted at a newly defined notion of terrorism and savagery that could encompass even the US invasion of Iraq and 9.11 with the same set of criteria.
- Exist to vanish: This military organization's long-term goal is its own dissolution (in the manner of the Ejercito Zapatista de Liberacion Nacional's Subcomandante Marcos's words)
- Wordly Tax: This military force's funding will be partly based on a wordly taxation of any human being, relatively calculated by the income of the individuals, or donated on a benevolant basis.
- Transparency and new journalism: All the activity records of any soldier of this force would be archived and made available in a publicly accessible online, i.e. a la lifelog.
- and so forth...

The biggest problems would be to consider what the realistic and feasible incentives for exisiting nations to support this force could be like. Maybe this could start as a small collective effort between the developing areas such as Africa or even smaller territories such as the current problematic case of Haiti.

The biggest effort possible of social hack for world plasticity is definitely found here. This endeavour is definitely not just political as it requires also visioning and designing, but substantially relie its realization on the abilities of building, negotiating, persuading , socializing and brutalizing to some extent.

link: United Nations Application

ぬきがき:『時空の編み目をくぐって』、高橋悠治

janvier 25, 2007

an incomplete translation of Yuji Takahashi's diary during the 1970's. [draft]

self-note: Translation accelerates understanding.

アナロジーのかんがえかた。ひとつのものがそうなら、ほかのものもそうだろうと期待する。おなじことを、いたるところにもちまわる。おもしろくない。 バッファロー 1968.2.11

The way analogy thinks. If one thing is such, he hopes others are just the same. To see the same things everywhere. How boring. Buffalow, 1968.2.11

著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名

janvier 21, 2007

著作権の保護期間が国内外の既得権益者たちの圧力によって延長されようとしている問題を明快にしめす、青空文庫によるすばらしい編集映像.このなかで福井弁護士が例示する想造の連鎖は、さらにきたえあげられなくてはならない.

埋め込み用コード(copy&paste):

・この映像に賛同されるひとは、以下のURLから、この現実的で実りのある署名運動に参加できる:
http://www.aozora.gr.jp/shomei/

・この映像に賛同しないひとは、以下のURLから、この問題に関する国民会議に参加することができる:
http://thinkcopyright.org/

ぬきがき:『時空の編み目をくぐって』、高橋悠治

janvier 16, 2007

an incomplete translation of Yuji Takahashi's diary during the 1970's. [draft]

self-note: Translation accelerates understanding.

鎌倉 1975.4.12
連歌的時間は、直線ではなく、円でもない。領域Aから共通部分ABをとおって領域Bにうつる、この運動のくりかえし。時間はネットだ。
絵巻物の時間は、なびく雲でさえぎられる記憶の島からできている。白ケムリからあらわれた顔は、とつぜん老人になった自分にとまどう。

Kamakura 1975.4.12
The time of derivative songs is neither linear nor circular. It is the repetition of the movement where it starts from domain A to domain B passing through the common domain AB. Time is a net.
The time of a scroll is made of islands of memory that are shuttered by weaving clouds. The face that appears from the white cloud is stupefied by his own sudden oldness.

ぬきがき:『国家とは何か』、萱野稔人 3/7

janvier 15, 2007

【なぜ読むのか】
オープンソース的運動は、国家の外側にある空間を想定した上で、その空間において諸個人の権能を最大化しようとするもの、といえる。
トランスナショナルな運動の特徴点を考察する上で、ネーション=ステートの包括的に理解しようとすることは重要である。

【第三章:富の我有化と暴力】を読む...

有益であると判断されるものを自分のものとすることが、敵と友の区別を生じさせ、国家を出現させるのである。
有益であると判断されるものとは、いわゆる富のことである。暴力はあらゆる文脈を無視して富を手に入れることを可能にする。
これは、富が物質的なものであることからくる必然的な帰結である。p95
それは、なんらかの富を「産出すること(production)」にかかわっているのではなく、産出された富を実力によって「我有化すること(appropriation=専有)」にかかわっている。p96
ここには、富の我有化と暴力の組織化との循環運動があるだろう。p97
D: autopoiesis of the state based on feedback loop between appropriation of wealth and organization (orchestration?) of violence
〈租税について〉そのレジームをドゥルーズ=ガタリは「捕獲装置」とよぶ。それを特徴づけるのは、「捕獲する権利を制定しながら捕獲するという暴力」にほかならない。p100
暴力の格差が税の徴収に先だつのである。、、、それは「国家の暴力にさらされるぐらいなら税をおとなしく支払ったほうがいい」という意味での同意でしかない。
ポール・ヴィリリオは、国家を「軍事的捕獲者」と規定している。p102
国家にとって「軍事的な保護」が意味するのは、他のエージェントによる攻撃からその土地におけるみずからの暴力の優位性と富の徴収の権利をまもること以外ではない。p104
国家は「保護するがゆえに拘束する」のではない。逆に、「拘束するがゆえに保護する」のである。住民の保護とは、あくまでも支配と富の収奪から派生してくる副次的な活動なのである。p105
「人びとを平和にむかわせる諸情念は、死への恐怖である *トマス・ホッブス 『リヴァイアサン』p107
人びとの力が同一人格の意志へと統一されるという事態は、「各人体各人の信約によってつくられる」。つまり各人が自らの力を特定の人格の意志へと移譲するということを互いに信約し合うかぎりで、共通権力はなりたつのである。
「相互信頼による信約は、いずれかの側に不履行についての恐れがあれば無効である」 p108−109
住民のあいだの合意や信約がなりたつのは、かれらを超えた強制力を背景としてのみだ。p110
「設立によるコモンーウェルス」においては、住民たちの信約によって実力が特定の人格のもとに蓄積される、つまり信約が暴力の格差をうみだす。これに対し「獲得によるコモンーウェルス」においては、暴力の格差こそが信約をなりたたせる。信約が暴力の優位性を根拠づけるのか、反対に暴力の優位性が信約を根拠づけるのかという違いが、ふたつのコモンーウェルスを区別する。p111
国家が自らのために守るように拘束される諸規則ならびに恐怖と尊敬との諸原因は国法の領域に属さずに自然法の領域に属する。 *スピノザ 『国家論』 p114
スピノザが国家論において契約の概念を用いることをやめたのは、むしろホッブズ契約論に含まれていたひとつの回路を徹底した結果として考えられるべきなのである。p116

4.所有/治安/安全

所有権はつねに「国家以外のエージェントが住民の富を奪うことはできない」というかたちで設定される。国家が規定する不当な行為のなかには、こうして「所有に対する侵害」のカテゴリーが必然的に含まれることになるだろう。
まず徴収という出来事があってそれが所有の観念を生じさせる。
スピノザ『エティカ』: 自然には、とくにこの人間の所有物であって、あの人物の所有物でないと言いうるようなものは何も見いだされない。むしろすべては、あらゆる人の所有物なのである。このようにして自然の状態では、各人に対してその所有を認めようとしたり、あるいは本来の所有であるものを、あるものから奪い取ろうとするような意志は、まったく考えることができない。 p120
富を徴収する暴力を背景にしてはじめて、特定のものが特定の個人に帰属するという事態が確立されるのである。
「私有制とは、国家による公的所有制を前提に」する。 D=G
*ロック『市民政府論』の考え:労働によって生産されたものは、それを生産した人の所有になる。人びとはみずからの生産物に対する所有を保護してもらうために、その生産物の一部を国家に支払うというわけである。
自然状態の終息は、国家だけが富を我有化するために暴力に訴えることができるという事態の確立と切りはなせない。
所有の成立とはだから、暴力の実践が支配の関係へと構造化されることにほかならない。p123
治安とはなによりもまず国家にとっての概念だということ。p125
国家はみずからの保全と利益にかかわるかぎりでしか、住民の安全に関心をもたない。p126
>相関性はある。住民にとって好ましい帰結をもたらすこともある。
とはいえ、こうした相関性を介しても、国家にとっての治安と住民にとっての安全は完全に一致することはない。両者のあいだには暴力をめぐる格差と非対称生がつねにのこるからだ。その格差と非対称生こそが国家の存立基盤である以上、治安と安全との不一致は原理的なものである。p127

Etienne Balibar: securite de l'Etat / surete du citoyen

国家の形態に対して規定的に作用するふたつのファクターが導きだされるだろう。そのふたつのファクターとは、徴収される富が生産される仕方と、物理的暴力の行使をささえるテクノロジーである。
〈しかし〉国家の形態はそれらのファクターの単なる受動的な反映ではない。
それは固有の運動体に対する〈条件としての規定性」としてである。
p129−130
ピエール・ブルデュー「国家精神の担い手たち」:国家なき社会においては・・・暴力の行使を社会内部で明確に同定された特別の集団に委託した例はない。したがって個人的復讐や自衛の論理をまぬがれることはできず、そこから悲劇の問題が生まれる。p131
国家のない社会とは、暴力の持続的な組織化をはばむような暴力のあり方が優勢になっているような社会であると考えることができる。p132
組織化へとむかう暴力のあり方と、それをはばむような暴力のあり方との関係、国家装置と戦争機械の関係である。p132
ピエール・クラストルによれば、国家なき社会は、国家の形成をあらかじめ妨げるようなメカニズムを内在させているのである。p134
そのメカニズムはまず、余剰生産物の蓄積をさまたげるような諸々の活動(蕩尽など)としてあらわれる。それによって特定のエージェントによる富の徴収は不可能となるだろう。またそのメカニズムは、当事者たちを制服によって統合するのではなく、逆に分裂させるような戦争の形態としてあらわれる。
〈しかし〉D=Gは、国家的なものとはまったく無縁な社会の存在という発想ははっきりと退けている。p134−135
D=Gは、国家的なものとはまったく無縁な社会の存在という発想をはっきりと退けている。p135

ぬきがき:『時空の編み目をくぐって』、高橋悠治

janvier 11, 2007

an incomplete translation of Yuji Takahashi's diary during the 1970's. [draft]

self-note: Translation accelerates understanding.

東京 1975.6.5
集団の想像力が個人の上に集約される。対象とするきき手の想像力に個人的創意のフィルターをとおしてひとつのかたちをあたえる。
これはまだ作品ではない。ひとりがつくり、みんなが批判する。音楽作品がかかれ、小さなグループの前で試演され、必要な訂正をへて大衆の前にもちだされる。その上でさらにかきなおす。この経過全体が作品をつくるということなのだ。
集団的創作は、材料をもちよってつくるヤミナベのようなものではない。作曲家の共同制作は、ほとんどいつも失敗する。個人的水準での異質な要素のまぜあわせには、そこから飛躍させる原動力としての批判がかけている(例外は、他人の主題による変奏曲だ。主題のおもいがけない変身がかんげいされる)。
集団的創作は、具体的なモデルの上に作曲家・演奏家・聴衆の三つのちがう機能が結合されることでなければならない。それらの一時的共存という特権的瞬間にたよるのではなく、それは歴史的過程とかんがえられる。作品はすべて、進行中の作品になる。

Tokyo 1975.6.5
A group's imagination is distilled into one person. To give shape by passing the imagination of the targeted audience through a filter of personal originality.
This is not a piece yet. One creates, and everybody criticize. A piece of music is written, rehearsed in front of a small group, and showed to the public after the necessary corrections. And to revise again and further. Creation of a piece includes the totality of this process.
Collective creation is not something like a blind pan where people throw whatever material into. Collective production of composer fails almost all the time. The amalgam of heterogenous elements made on personal level lacks the very drive to jump from there (variation made on other person's theme is an exception. There, unexpected morphosis of the theme is praised)
Collective creation must be a combination of three different functions - the composer, the performer and the audience. That is not to draw on the priviledged moment of temporary coexistence, but rather a historical process. All works become in progress.

ぬきがき:『国家とは何か』、萱野稔人 2/7

janvier 09, 2007

【なぜ読むのか】
オープンソース的運動は、国家の外側にある空間を想定した上で、その空間において諸個人の権能を最大化しようとするもの、といえる。
トランスナショナルな運動の特徴点を考察する上で、ネーション=ステートの包括的に理解しようとすることは重要である。

【第二章:暴力の組織化】を読む...

ウェーバー:支配とは、或る内容の命令を下した場合、特定の人々の服従が得られる可能性を指す。(社会学の根本概念)p45
D: 命令ではなく、依頼というシェーマに移行する。暴力ではなく、影響力(puissance)というシェーマに移行する。可塑性はこうした量に対して中立的なのか。
『政治的なものの概念』のなかでシュミットは、政治的なものを固有に規定するのは敵/友の区別であると述べている。p46
D:中間領域の創出においては、敵/友の区別は有為ではない。ある文脈においては敵が、違う並行する文脈においては友であることが現実に起きるからであり、ひとつの主体を敵/友というように断定することはしないからである。しかし、鈴木健的にいえば、敵/友と区別する政治団体の方が「強い」のだろう。中間領域が強くなるにはどうすればよいのだろうか。
秩序と支配を確立するために暴力を組織化するという運動こそが、国家を出現させる。p47
敵・友・闘争という諸概念が現実的な意味を持つのは、それらが特に、物理的殺戮の現実的可能性とかかわり、そのかかわりを持ち続ける事によってである。戦争は敵対より生じる。敵対とは、他者の存在そのものの否定だからである。戦争は、敵対のもっとも極端な実現にほかならない。(シュミット、政治的なものの概念、p25−26)
監獄の誕生、フーコー:身体刑の見せ物的な残酷さも、こうした暴力の使用法からうまれてくる。p49 君主にとっての敵としての犯罪者。
権力は行為に対する行為、起こりうる、あるいは現実の諸行為に対する行為、未来または現在の諸行為に対する行為。
暴力は身体や物にはたらきかける。それは強制し、屈服させ、打ちのめし、破壊する。あらゆる可能性を閉ざす。受動性の極しか残されない。p50
ルーマン 「権力」 も同等の立場をとる。
D: Mais Deleuze, en citant Nietzsche et Leibniz, dit que le pouvoir est necessairement triste, car il restreint tout devenir et puissance des individus impliques.
脅された相手には、なおもいくばくかの能動性が残されている。p51
D: 権力においては、一定の文脈という枠のなかで行為しうるという能動性があるという。これは自由論のようである。
フーコは権力の行使を、「たがいに相手の可能的な行為領野を構造化する仕方」として定義している。暴力による脅しとは、「相手の可能的な行為領野を」恐怖によって「構造化する仕方」にほかならない。p52
服従(支配)が目的の場合は、暴力は自律的な手段になりえない。暴力の行使可能性が利用される。
秩序が目的の場合は、暴力は自律的な手段になりうる。p55
アーレントにおいては、権力と暴力は対立する。「暴力について」p58
D: アーレントは権力をエリティスティックに肯定しようとするのだろうか。アウシュヴィッツを引き起こしたナチス=ドイツを権力として認めないのだろうか。 アーレントによれば、権力にとって本質的なのは「他者と一致して行為する」という点である。
ホッブズ:恐怖によって強要された信約は、有効である。(リヴァイアサン、229p)
その契約は、自然状態から国家が生成する根拠としての契約を指している。暴力による脅しとそれに対する服従への同意こそが国家の存立基盤になっているのだ。p66
ホッブズはこうした組織化を「人びとの力の合成」と呼ぶ。「人間の力のなかで最大のものは、きわめて多数の人びとの力の合成であ。。。る。したがって、召使いをもつのは力であり、友人をもつのは力である。なぜなら、かれらは合一された力であるからである (リヴァイアサン150−151p) 
人びとの諸能力が根本においてはほとんど平等にできており、各人は他を圧倒するだけの暴力を単独で持ち合わせず、そうした圧倒的な暴力が発揮されるためには、必然的に、よりおおくの人びとの諸力が組み合わされ、合成されなくてはならない 71p
D: 「考える?そんなことは召使いに任せればいい!」(Villiers de L'Isle-Adam, "Axel") → マルチテュード。
国家の成立基盤には、暴力と権力のあいだの相乗的な関係がある。つまり、一方で権力は、暴力の組織化を可能にし、それによって暴力をより強大なものにする。と同時に、他方で暴力は、否定的なサンクションの発動可能性として機能することで、人びとから特定の行為をみちびきだし特定の行為関係を実現する権力のはたらきを補強する。国家は、暴力をつうじた権力の実践と、権力をつうじた暴力の実践との複合体として存在する。p74
暴力を集団化するこうした機制を、暴力の加工とよぶことができるだろう。p75
ドゥルーズ=ガタリは、無秩序で盲目的な暴力のあり方とむすびついた「戦争機械を制度的な枠の内部に組み入れる」ことのなかに、国家の本質的な契機を見いだしている。(千のプラトー481p)個々ばらばらな暴力への傾動が集団的・制度的な暴力の実践へと加工されることをつうじて国家は成立するのだ。p75
定理27 われわれは、われわれに似ているものがあると、それにたいしていかなる感情ももたないのに、それがある感情に動かされるのを想像される場合、ただそれだけで、それと似た感情に動かされる。スピノザ 『エティカ』第三部210p
D: 外人より同国人が殺されるほうが、より大きな同情を引き起こすこと。このことを裏切るのが翻訳者であり、媒介者なのだろうか。
類似とは、それがどれほど自明にみえても、客観的なものではなく、想像的なものである。類似が客観的にあらかじめ存在するから、感情の模倣が起こるのではない。それは、われわれの想像的なまなざしが何を類似として見いだすかということと切りはなせない。p79 
渡辺彗『認識とパタン』類というものは全く勝手に集めた個物の集まりに一つの名をつけたにすぎず、これは徹底した唯名論であって、数学的基礎にたったものであり、これを打ち破ることはできないでしょう。/白人と有色人、日本人とオランダ人といった区別は客観的なものではなく、想像的なまなざしが見いだす類似の観念にもとづいた区別なのである。
スピノザ 『国家論』 ・・・国家すなわち最高権力に属する権利は、各人の力によってではなく、多数者—あたかも一つの精神からのように導かれる—の力によって決定される自然権そのものにほかならない。
多数者の力が「あたかも一つの精神からのように導かれる」ためには、想像的なものの力学をつうじて彼らのあいだで暴力が加工されなくてはならない。p80
ファシズムにおいては、国家は全体主義的であるというよりは、自殺的なのだ。 D=G Milles Plateaux  p84
非難されるべきものは、いっさいの神話的暴力、法措定の、支配の、暴力である。これに仕える法維持の暴力、管理される暴力も、同じく非難されねばならない ベンヤミン 暴力批判論 45p
いっさいの領域で神話に神が対立するように、神話的な暴力には神的な暴力が対立する。しかもあらゆる点で対立する。神話的暴力が法を措定すれば、神的暴力は法を破壊する*同、59p
ベンヤミンは神的暴力を「血のにおいのない、衝撃的な、罪を取り去る暴力」として規定している。つまりそれは、いわゆる「暴力」として一般的に認められているものに対立するのである、と。p87
アーレントはこう述べていた、「もし目標がすぐに達成されなければ、その結果はたんに敗北では済まず、政治体全体に暴力の実践がもちこまれることになろう」と。これに対して、対抗暴力だけは例外だ、などということはできない。p90
暴力の加工は、非暴力の実践に先だつ。非暴力を暴力よりも根源的で自明なものとみなすことはできない。非暴力の自明生そのものが、暴力の加工によってあたえられる効果であるからだ。p90
*ノルベルト・エリアスの仕事:暴力が加工され、組織化されることではじめて非暴力的な空間が広がっていくという事態、そして諸個人は一定の条件の下ではじめて非暴力的に〈なる〉という事態を歴史的に考察した。
暴力の加工そのものをいかに〈加工〉していくのか。この問いこそが、暴力をめぐる政治の地平をくみたてるのである。

on Prochronism: introduction

janvier 05, 2007

from c&c2007

"In order to legitimate such strategy, we can conceptually consider the public institution being a pseudo-environment with its own constituents where social creativity generates the platform itself, in the manner of Luhman's communication theory referring to the auto-generating (autopoietic) system in life science.

In this context of live environment, the idea of prochronism, a term coined by Bateson can help to understand the importance of the archive. Prochronism is the environmental value of a given live existence that contains its 'curriculum vitae' of progression through time inside its material form (i.e. a conch shell carrying the snailユs pattern formation history) so that the observer can relate herself to it, in order act upon it.

In this sense, the digital archive achieves the prochronistic value of the public institution for the public to transparently understand its structure and to relate themselves through participation."

Google Earth Overlay

janvier 04, 2007

http://edge.org/q2007/q07_7.html#dibona
CHRIS DIBONA
Open Source Programs Manager, Google Inc.; Editor, Open Sources: Voices From the Open Source Software Revolution and Open Sources 2.0

Widely Available, Constantly Renewing, High Resolution Images of the Earth Will End Conflict and Ecological Devastation As We Know It

This idea reminds me of a Wired cartoon few years ago depicting the future of UN surveillance, where an UN officer, accompanied with thousands of webcam-powered flying insectron bots that are connected with PC users from around the world, interrogate a shady factory in the Middle East. When secrecy is demolished by Google Earth, security will again be reinforced in spite of private and anonymous sphere. A sort of David Ryan-ish mutual surveillance expanded from gated community onto a global, satellite scale?

As in a security hacker's stance, I thought of a way to disguise Google Earth. The basic idea is to, a little like the GITS optical camouflage, to overlay the targeted surface with a layer of static capture of the same exact place. This could be 1mx1m or 1kmx1km; as remote sensing cannot really have a tri-dimensional view of the earth's surface, this sort of camo should be convincingly realized with a careful handwork.
This way, a landscape slightly different than the reality can be overlayed onto the shared imaginary of GEarth. Something we can call Google Earth Overlay (GEO) method.

ぬきがき:『国家とは何か』、萱野稔人 1/7

janvier 01, 2007

【なぜ読むのか】
オープンソース的運動は、国家の外側にある空間を想定した上で、その空間において諸個人の権能を最大化しようとするもの、といえる。
トランスナショナルな運動の特徴点を考察する上で、ネーション=ステートの包括的に理解しようとすることは重要である。[draft]

【一章:国家の概念規定】を読む...

ウェーバーによれば、国家をなんらかの目的によって定義することはできない。というのも、あらゆる国家がかならず追求した普遍的な目的といったものはないし、また、たいていの目的はこれまでどこかの国家によって追求されてきたからである。p10

D: think of autonomy, autopoiesis of the state.

戦争にせよ、犯罪者の逮捕や処罰にせよ、暴力を行使する権限を持っているのは国家だけだ。p11

D: how not to counter but to over-ride violence.

ウェーバーによる国家の定義:国家とは、ある一定の領域の内部で正当な物理的暴力行使の独占を実効的に要求する人間共同体である。p12

D: how not to claim violence and still have polities.

国家と空間的領域とのこうしたむすびつきは、カール・シュミットが『大地のノモス』で強調した、政治的秩序と場所確定との不可分性にも通じるだろう。人間が住み、活動する具体的な場所でのみ国家は成立する。p14 

D: aphorism: one nation, no state? or stateless.

国民国家とは、暴力行使の独占を要求する集団と、それを要求される人々との関係が一つの共同体へと再編成されたときにはじめて成立するものである p16
国家とは、政治的団体のひとつの下位概念なのである。

D: think of resolution, continuity of POV

死刑における殺人が合法なのは、殺人を行う主体と、合法/違法を判断する主体とが同一であるからである。殺人を合法なものと違法なものとに分ける権限を持つもののみが、合法的な殺人をおこなうことができるのだ。p21

D: a-ethics of capital coupled with state.

暴力は、誰に対しても(知らない人に対しても)、そして特定の文脈に依存することなく(相手が試験を受けるかどうかにかかわりなく)、否定的なサンクションをくみたてることができるからだ。この意味で、暴力は命令にとっての、いわば普遍的な手段となる。...暴力を保持し行使する主体が、同時に決定の権限を持つ主体でもあるのと同時に、暴力そのものの働きに根ざしている。p23

D: "avec" et "dans" la violence.

命令にとって暴力が普遍的な手段となるのと同じように、暴力は、法が社会の中で貫徹され、維持されるための最終的なよりどころとなる p24

D: structural coupling of law and violence

ベンヤミン:法措定的暴力/法維持的暴力 p27

暴力に法的ステイタスを与えることは、暴力を行使しながら遂行的になされるほかないのである p30  国家は、暴力をめぐるヘゲモニー争いの勝者として位置づけられる p31
【暴力の正当性の問題】国家は、みずからの暴力のヘゲモニーをより強固にするために、強大な暴力を蓄積するだけでなく、その暴力が住民にとって道徳的に受け入れられるものとなるよう努力しなくてはならない。p31
合法化された暴力が道徳的に正当化されるとき、それと並行して、違法化された暴力も道徳的に不正化されるのである。p32
Etienne Balibar: 暴力の正当化に使われる [...] 唯一の [...] 論理的・修辞的なシェーマとは、予防的対抗暴力のシェーマである。p33
暴力を正しいものとして提示するためには、別のより危険な暴力(の可能性)をおさえ込むという図式に訴えるほかないのである。p34
したがって、国家必要論が述べるのとは反対に、国家は不正な力をおさえるために必要だから存在しているのではない。そうではなく、暴力をめぐるヘゲモニー争いの帰結として国家は存在しているのである。p35
正当性の観念だけでなく、正統性の観念も戦略として用いられる。
正統性においては、正しい行為主体の観念が暴力を根拠づける。p35
暴力が社会のなかで行使されるあり方のひとつとして国家は存在している。p37

D: 物理的直接的暴力ではなく、ネットワーク的情報的暴力(金融、イメージ、識別情報、同一性を対象とした)を脱/非国家的な運動として捉えられるか(後述の神学=ネットワークの指摘を参照)

「過去においては、氏族を始めとする多種多様な団体が、物理的暴力をまったくノーマルな手段として認めていた」(ウェーバー)暴力の実践のほうが国家の存在に先立つ。なぜそれまで多元的に存在していた暴力への権利は近代において一元化されたのか p39
国家を思考することは、暴力が組織化され、集団的に行使されるメカニズムを考察することにほかならない。国家をめぐる批判理論は、暴力の歴史の哲学とならなくてはならない。p40

関連文献:
◆ カール・シュミット 『大地のノモス』 Carl Schmitt "The Nomos of the Earth"
◆ ワルター・ベンヤミン 『暴力批判論』 Walter Benjamin's "Critique of violence"
◆ マックス・ウェーバー 『職業としての政治』、『社会学の根本概念』Max Weber "Politics as a Vocation", "Soziologische Grundbergriffe"
◆ ジャック・デリダ 『法の力』 Jacques Derrida "Force de loi : le fondement mystique de l'autorité"
◆ スピノザ 『神学・政治論』Spinoza "A theologico-political treatise"

* クラウゼヴィッツ、『戦争論』:「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」




 
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